The Fool In The Valleyの雑記帳

-- 好奇心いっぱいのおじいちゃんが綴るよしなし事 --

太田道灌の墓

緊急事態宣言が出され、不要不急の外出は控えるように求められていますが、運動不足気味なので、ハガキを投函するために家を出て近くのポストではなく、3㎞程離れた郵便局まで歩くことにしました。

途中、太田道灌の墓の近くを通るので、久しぶりにちょっと立ち寄ってみました。

太田道灌と言えば、江戸城を築城したことや「山吹の里」の逸話が有名ですが、それ以外のことはあまり知られていないかもしれません。

室町時代の文武両道に優れた武将だったと言われていますが、その活躍ぶりに嫉妬と疑念を抱いた主君の扇谷定正によってこの地で謀殺されているのです。伊勢原市ではその太田道灌を偲んで毎年10月に「伊勢原観光道灌まつり」が開催され、芸能人が道灌に扮するパレードが街の中心部であります。

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数年前には道灌ゆかりの地ということで、彼を主人公にしたNHK大河ドラマを作ってもらおうという活動が市内で行われていました。署名を求められたことがありますが、道灌が主に活躍したのは別の地域で、伊勢原市は単に最後にだまし討ちに遭った場所というだけの不名誉な話にしかならないのになあと思ったものです。

首塚と呼ばれる霊地は渋田川沿いにあります。

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中には、石造りの供養塔が祀られています。

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すぐ近くにある太田道灌菩提寺大慈寺

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今までこの首塚のことしか知りませんでしたが、首塚ということは胴塚が別のところにあるのでしょう。案内板によると、道灌の遺体はここから3kmほど西にある洞昌院で荼毘に付されそこにも墓があるということです。そこで運動不足解消も兼ねてそこまで足を延ばすことにしました。

洞昌院に向って歩いていくと、途中に、東海大学医学部の病院があります。ここにはドクターヘリも供えた高度救命救急センターが併設されていて、地域の救命救急医療の要にもなっているところです。敵に襲われた道灌は洞昌院まで逃げ延びたのですが、そこで力尽きて倒れたという説(後述)も伝わっています。刀傷を負い非業の最期を迎えた道灌にしてみれば、そうした悲劇の場所の近くに500年後に救命救急の大病院が建てられているのは何か皮肉な話かもしれません。

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 洞昌院の位置は下のGoogleマップで確認できますが、周りを見ると、事件が企てられた扇谷定正の糟屋館が近くにあったこともわかります。

洞昌院に着くと案内板があり、そこには道灌の最期に関する伝承や明治・大正のころの墓の様子も表示されていました。

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墓の入り口。

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昔の写真や絵にある大きな木はなくなっています。遠い昔に植えられたのであろう大木が切り株だけになっていたのはちょっと残念でしたが、それだけ時が経ったということでしょう。

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郵便局までの6㎞ほどの散歩の予定が、道灌の墓をめぐる12㎞の散策になりました。雨が降り出しそうな天気で、結構速足で歩いたので最後は脚が痛くなってしまいましたが、500年前の出来事に思いを馳せる事ができてなかなか興味深いものでした。今回は後で気が付いたので立ち寄ることができませんでしたが、事件が起こった扇谷定正の糟屋館の跡には、近いうちに行ってみようと思います。

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