秦野市の水無川に沿って車を走らせていると、信号に「古墳公園前」と表示があり、見るとその一角が公園のようになっているので、車を停めて入ってみました。
初めて知ったのですが、その一帯は桜土手古墳群と呼ばれるもので、神奈川県内では最大の規模だとか。
公園の入口から見るとこんな感じです。もこもことした盛り土が点在し、奥の方に石を積み上げたものも見えます。
まず、復元された保存古墳群をぐるっと回ってみました。下は28号墳。径15.6m、高さ1.8m、周りを周溝が巡っています。これらは保護のために盛り土をして、元の大きさに復元しているということです。
その奥にあるのは26号墳。径14.5m、高さ2.1m。
一番奥にあるのがこの古墳群のなかで一番大きい1号墳。少し離れた場所にあったものをこの場所で復元したということです。
横穴式の石室があったようで、中を覗くことができます。石でふさがれた入口を開けることによって追葬できたようで、一基の古墳から数体の骨が発見されたものもあるということです。
32号墳の後ろに、あまり見かけない特徴的な木がありました。説明書によるとタイサンボクというそうです。北米原産で花はミシシッピ州とルイジアナ州の州花だとか。日本では公園樹として植えられることが多いらしく、明らかにこれは古墳とは直接関係なさそうです。
横に併設されている展示室を覗いてみました。
入口にはこのお知らせがありました。「神奈川モデル」を受けた対策が講じられています。LINEのお知らせシステムにも登録しました。感染した人がこの施設を使ったことが判明したら、LINEで私にお知らせがくるわけです。
展示室に入ると見学していたのは私たち夫婦だけ。
古墳工事中の様子のジオラマ。ピラミッドとは規模が違いますが、我々のご先祖もこうして頑張っていたんでしょうね。
副葬品 ろくろを使って土器がきれいに整形されています。朝鮮から来た陶工によって作られた須恵器というものらしいです。私が育った福岡市の近くに須恵という町があるのでWikipediaで調べたら、やはり、古墳時代に須恵器が生産されていたことに由来するということです。
小さな食器は個人用の食器が使われるようになったということでしょう。
副葬品 この時代になると鉄が使われていたんですね。だけど、どうやって作ったんだろう、原材料はと疑問がでてきます。
こういう施設があることは全く知らなかったし、今日たまたま通りかかって入ってみたのですが、おもしろいものを見学することができました。
この場所は、下の地図で示すように、丹沢山系を源にした水無川に沿った河岸段丘にあり、水が安定して得られ、北は丹沢の山で遮られているので、古代から温暖で住みやすい場所であったろうと推測できます。そういうことを考えていくと、いろいろと想像が広がります。これまで考古学にはあまり興味を持っていなかったのですが、これに夢中になる人の気持ちが少しわかったような気がしました。