The Fool In The Valleyの雑記帳

-- 好奇心いっぱいのおじいちゃんが綴るよしなし事 --

四十にして惑わず、の後は?

娘が40歳になったということでLINEでメッセージをやり取りしていて、論語にある「四十にして惑わず」という言葉が頭に浮かびました。

この言葉、孔子が晩年に人生を述懐したものだと理解しているのですが、この四十の時だけがやたら有名で、その前後がどうだったのかはよく知りません。それ以降、50、60のときはどうだと言っているのでしょう?
調べると、
 子曰わく、
 吾十有五にして学に志す
 三十にして立つ
 四十にして惑わず
 五十にして天命を知る
 六十にして耳従う
 七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず
ということのようです。70になるまで言及しているのです。

「四十にして惑わず」は普通に解釈すると、40になってあれこれと迷わなくなった、となりそうですが、Wikipediaや他のサイトによると、「孔子の時代には「惑」という漢字は存在していないが「或」という漢字は存在している。この「或」という漢字は区切ることを意味しており、当てはめてみたら「四十にして区切らず」となり、40歳になっても自らはこんな人間であるとして周りに柵を作って区切ろうとせず、もっといろんなことをするべきではないのか、あるいは、40歳で固定観念が無くなった、ということではないか」という説もあるようです。私としては、不惑というよりその説の方が受け入れやすく感じます。


孔子は74歳で没したということですから、当時としては相当な長寿だったのでしょう。50になって天命を知り、60になってやっと人の言葉が素直に聞けるようになり、死を迎えるほんの数年前の70になって、心が思うままに振る舞っても道を外れることがなくなった、と言っています。

2500年前の孔子の生きた時代と比較すると現代は平均寿命が長くなり、人生のタイムスパンは長くなっていますし、社会構造も違いますから、そのまま受け入れられないところもあります。それでも年を取ってからの身の処し方としては共感できるものがあります。

世のなかで、年とともに、人の言うことを聞かず、身勝手に振る舞って周りに迷惑をかけまくっている老人の話を時折見聞きますが、傍から見ていて見苦しいものです。この言葉はそうした態度を戒めたものだと解釈できます。
私自身、古希を迎えたところなのですが、決してそうした振る舞いがないよう気を付けることを改めて認識させられました。